御旅舎 大和神社

御 旅 舎(北上市常盤台鎮座)

 御旅舎は大黒神社で、大国主命が祀られている。
 諏訪神社の例祭(9月7日)祭儀の後、神幸の儀(町内神輿巡行)が行われ、9日御本社へお帰りなるまで神輿がお泊りします。
 古くは花園町三丁目、黒沢尻3区の旧公民館跡地に鎮座していたが、昭和9年に現在の黒沢尻北高等学校南下、常盤台一丁目に遷座し、諏訪大明神御旅所といわれてきている。
 宝永2年(1705)7月21日の例祭にあたり、その年の6月に亡くなられた藩主信恩(のぶおき)の母君の喪にふくすため、祭りをひかえさせられていた。いろいろお願いの成果があって8月20日御祭礼をすることになった。「廿日之晩は御たび所に泊まり廿一日に本宮へ御こし候。是れは御たび所之仕はじめに御座候。」とあることから、この年から神幸の儀が始められたと考えられる。
 平成29年本殿、拝殿各所老朽化を呈し、損傷するにいたり同年5月15日から7月31日まで改修工事がなされ8月18日本遷座祭を執行している。

 

 

 

 

 

 

 

大 和 神 社 (北上市常盤台鎮座)

【由緒】
 大和神社は、北上市和賀郡遺族連合会(北上市・東和町・和賀町・湯田町・江釣子村・沢内村)によって昭和31年に建立されている。現在の社は戦後30年を記念して、昭和50年にコンクリート造りに立て替えられた。
 日清・日露戦役、日中戦争及び太平洋戦争に於いて国の為に召され、遂に故国に還ることなく異郷の地に散華された北上・東和・湯田・沢内各市町村戦没者2174柱の「みたま」(英霊)をお祀りしている。
 明治における八甲田行軍遭難者慰霊碑が社殿左側にある。昭和26年から29年に北上市都市計画により諏訪神社の境内を貫く道路工事により移設されたものである。
 毎年4月29日前夜祭を執行し、翌30日招魂慰霊の例祭日と定め、遺族・関係者等集い、英霊の顕彰と併せて世界の恒久平和を念じ、祭典行事を執り行っている。
 年移り変わるに伴い各所老朽化を呈し損傷するに至り、平成20年に大和神社奉賛会長髙橋洋二氏が修繕計画を提案し趣意理解され、基金より修繕費を充填して屋根の葺替え・社殿正面御扉・外装塗装・畳替え等の工事をした。(竣功奉告祭平成20年7月16日執行 各地区遺族会長事務関係者30名参列)

【慰霊祭組織(大和神社奉賛会)】
 大和神社の祭典は昭和31年より、北上和賀地区戦没者追悼式実行委員会が組織され、実行委員長を北上市長として4月30日に例祭を執行していたが、諸問題等でやむなく昭和57年解散となった。 
 その後、昭和58年から北上市民会館(現在は、さくらホール)に於いて4月30日献花方式として追悼式が執り行われている。湯田・沢内が合併し北上市西和賀地区戦没者追悼式と改称している。
 大和神社の例祭は絶えることなく執行され、北上市・湯田町・沢内村の遺族会・軍恩連各支部・各支部相集い(北上市英霊にこたえる会・傷痍軍人会解散)、戦没者の顕彰と遺族の安泰や大和神社の護持運営等熟議され、昭和62年11月大和神社奉賛会を設立した。
 大和神社の境内は、隣接する御旅舎の大黒神社と共に諏訪神社の飛地境内地として管理されており、事務局所在地は諏訪神社社務所に設置し、黒沢尻3区の有志者が日常の境内整備をしている。
 戦後70年、大和神社奉賛会組織も高齢化により、護持運営も難しさを増しておりますが、国の隆昌と平和を祈る御社として建立された意義を次世代に継承することが喫緊の課題となっている。